東大i.schoolふたたび、そして『100年予測』のこと
先日のエントリーで、東大i.schoolの話をちょっと書いたのですが、
http://blog.hayakawa-online.co.jp/nonfiction/2009/09/post-373f.html
http://blog.hayakawa-online.co.jp/nonfiction/2009/09/post-b757.html
まあ、ぶっちゃけて言ってしまうと、この東大i.schoolの活動をなんらかのかたちで本にしようと動いているわけです(でなきゃ何の用?ってことになるし)。いつとか、どんな本かとかは、まだちょっと言えないのですが、それでi.schoolのワークショップに記録係として通っているわけですよ。
ざっくりいうと、各界でイノベーションを起こせる人間を育てるための実践的ワークショップということで、博報堂さんと東京大学が行っている授業プログラムなんです。前回は世界的デザインファームであるIDEOのスタッフの指導の下、チーム作業で「ワーキングマザーと子どものコミュニケーションを考える」という課題をこなしました。僕は記録係なので、チームメンバーではありませんでしたが、密着取材しているので、学生さんたちと同じような経験をすることになりました。
今回はもう少し「頭を使う作業」で、「インドの未来を洞察する」というのが課題です。インドはなじみのうすい国かもしれませんが、ミクロ、マクロの情報を集め、独自のツールを使ってそれを分析し、シナリオをつくっていく作業です。今日はまだイントロ段階ですが、かなり確実なレベルでこうなるだろうという部分を考えました。これからは「知らないということを知らないこと」も視野にいれていろいろと模索していく予定。課題がバクゼンとしているので、まだなんとなく教室はもそもそしているようす。しかし、これが数日繰り返されると、学生さんたちってみるみる成長していくから不思議です(この成長ぶりは、マジで見ていてわかる)。
さて、今日の放課後の懇親会のときに、学生さんと博報堂の方とお話をしていて面白い話が聞けました。学生さんが「納得いかないような答えが出たときに、それを実際に企業などにどうやって受け入れさせるのか」みたいな質問をしたとき、博報堂の方がそれは前提が違う、と。かいつまんでいうと、どんなに緻密に予測しても未来は不確実である、どういうことが想定されるかを考えて複数の解を持っておくことが大事、ということです。なるほど。「複数の解」というのは目から鱗の発想です。
そもそも会社員なんぞをしていると、ツールとしての未来予測なんて立派なものはなく、将来観らしきものは自分や会社の希望、もしくは漠然とした悲観(出版界では特に)に支配されていて、どちらであれ、それに異論を唱えることは憚られる空気があるような気がします。でもそれは、ひとつの正しい解がわかっていなきゃいけないという強迫観(業界人として明確なビジョンがないのはダメだ、みたいな)であって、そうではなくて、あらゆる想定に対応策をもっていることこそが役に立つわけです。
未来を予想する課みたいなものがある立派な組織があるならいいよ。でも、たいていの会社にそんなものはないし、経済的・人的リソースのないところで戦わなければいけない場面だってあるはず。だからこそ、「人」という媒体にこういう力を備えなければいけないんだと思います。俺の未来……複数の解を準備しとこう。
そういえば、唐突ですが『100年予測
』、おかげさまで各所でベストセラー入りを果たす売れ行きです。この本はシナリオを提示しているのはもちろんですが、同時にツールや考え方をも提示しているのだと思いました(いや、シナリオも面白いですが)。『100年予測』が重視しているのはこれまでの歴史と普遍的な人の性向。そこから帰納法的に未来を探っていくやり方なんだと思います。こっちも複数解があれば、本の趣向としては面白かったかも。石油がなくなった→120ページへ/石油はまだある→200ページへ、みたいな。
それにしても頭脳立国のインド恐るべし。中国は一人っ子政策のせいで高齢化ぎみなのに、インドは若年層が多いんだって。また、インドは宗教とか言語が雑多なので、わりとグローバル化に抵抗ないらしい(多くのグローバルリーダーも輩出している)。まあ、人口動態的にはごく一部のエリートが目立ってて、それ以外の農村の人々は貧しく暮らしているという、開発国的な分布なんだろうけども、それに11億というハンパない人数を掛け算するときには、思いもよらない解が出るような気がする。
コメント